2022年6月13日(月):ぷにゅぷにゅぷにゅう!(衝動)

思うに、人間最大の不幸は、人間を理解することが、実質、不可能な点にある。自分探しという言葉の存在から窺い知れるように、自分という最も親しい知人ですら、その全てを理解しているわけではない。

何故、自分の理解すら困難であるのか。

その理由は、そもそもとして、人間が、無秩序な、衝動的な存在であるからだろう。

我々は理性を持ち、それを操る意識を持つが、しかし、意識は自分そのものではない。

人間は喜ぼうとして喜ぶのではない。喜怒哀楽や、好き嫌いは、より根源的な部分が生み出している。つまるところ、論理立った理性をベースとした意識は、自分が生み出した衝動を解釈する、外付けのデバイスに過ぎない。

より卑近な例を出せば、ストレスを感じない方が楽と知っても、意識的にストレスを消去するのが不可能なことをイメージすれば分かりやすい。いかなる時も衝動が先にあり、理性がそれを解釈するのである。

人間は理性に乗っ取っておらず、理性的ではないものは、決して理解出来ない。故に他者を理解し、他者に理解されることは不可能なのだ。

他者を理解出来ない以上、コミュニケーションは解釈の積み重ねに過ぎず、不確かさと常に隣り合う。

その不確かさを受容出来ることこそ、幸福の必要条件と思うが、いつそれが出来るようになるのか、見当もつかない。