2022年3月19日(土):群体を憎め。されど群体を愛せ。

昨日、オタクたちとタコピーの話をしていた際、上手く言語化出来なかった思考の再構築をする。

 

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まず、前提として『タコピーの原罪』考察班はキショい。色々ぐちゃぐちゃ言ってるが、凄いのは『タコピーの原罪』、お前じゃない。天才を理解できる人間が天才とは限らない。

結局、『タコピーの原罪』考察班がやってることは日本人はすげえwだから俺すげぇwのナショナリズムと同レベルだ。もちろん、凄いのは“凄い日本人”であり、お前じゃない。

故に『タコピーの原罪』というコンテンツに集い、『タコピーの原罪』を消費し、何者でもない何かが何者かになったと勘違いしている様は唾棄すべきだ。

勘違いするな。

気持ちよくなるな。

現実を見ろ。お前は凄くない。

『タコピーの原罪』考察班は群体である。

いくつかの上位個体が存在するのみで、それ以外は上位個体の思考をトレースした超個体であり、快楽の追求のために行動しているにすぎない。

言い換えれば、『タコピーの原罪』考察班は、『タコピーの原罪』をマジに考えた人の言葉を拝借し、さも自分が考えたかのように振る舞う劣化コピーの集まりである。

人間が考える葦である以上、思考の放棄は種の尊厳の放棄と変わらない。よって、群体は間違っている。

群体は憎むべきである。

されど、群体は愛すべきだ。

『タコピーの原罪』考察班は愚かだ。

だが、どんな時も賢明である必要はなく、いついかなる時も真摯であることを目指すべきではない。

群体となるのは簡単だ。

そして気持ち良い。

つまり、簡単に幸福を得られる。

人間の究極目標は幸福の追求である。

全ては自身を幸福にするかという視点で考えるべきであり、長期的に見れば群体となるのは幸福を損なうが、短期的な群体化にデメリットはない。

だから、たまには群体となるべきだ。群体と成り果てないのなら、群体として振る舞うのは悪くない。

『タコピーの原罪』やべーw、ひろゆきの切り抜き動画おもしれーw、そんな風に愚かになる日があってもいい。その日は気持ちよくなれると思う。

決して群体となってはならないと考えるのは息苦しい。人は年がら年中真剣に生きれるようには設計されていない。

だから、群体を憎め。されど群体を愛せ。