2023年4月15日(土):優しさと弱さの臨界点

オタクは馬鹿なので自分のことを優しくて、良識ある人間だと勘違いしており、俺も例外ではなかったのだが、最近、優しい人間的な立ち振る舞いをやめようとしている。

 

まず、「優しくしたくして、優しくしている」場合はいい。己に決定権があり、己の意思で優しくしている。理想的な状態だ。

 

次に「優しくしたくないが、優しい人間でいたいので優しくしている」場合もいい。これもやはり己に決定権がある。アイデンティティは大事にした方がいい。

 

しかし、「優しくしたくないが、優しくすべきという義務感から優しくしている」のは良くない。「優しくしたくないが、周りの目を気にして優しくするのは更に悪い。

 

優しくしても自分に利益を齎さず、優しくしても何もいいことがない人間を助けるのは、明確に間違っている。

 

情けは人のためならずであり、人助けは自分の人生を良くするためにした方がいい。自分の人生の面倒を見てくれるのは自分だけだ。

 

優しさは正しいが、優しくしないことで批判されるのでは?とかを恐れるのは弱さなので、捨てる方がよい。

2023年4月11日(火):俺様vs人生の無意味さ

最近、人生の無意味さに耐えきれなくなる瞬間がある。自分は天才ではなく、自分は何もなさず、自分の人生は意味を持たないことがあまりにも空虚で、耐えられない。

 

この問題に正攻法で対抗するには、自分に満足し、自分は凄いことをやっていると勘違いする必要があるのだけど、それを出来るほどの自己肯定感も、自己効力感もない。

 

クソッタレな現実にうんざりしながらも、空想に逃げられるほどのやる気もないんだけど、どうすればいいのだろうか?

 

多分、推しとか作って、推しを推してる自分に価値を見出すぐらいしかないんだけど、ホロライブを一生懸命一生懸命見るしかない?

2023年2月27日(月):人生で初めて意識的に、事務的な手続きを踏んで、人を見限った。

後輩社員の面倒を見るのが本当に精神的に辛くて、今日、上司に「もうこの人の指導をするのは無理です」と言った。

 

最初にあったのは、大きな後悔で、「ああ、これで人事評価終わったな」とか、「期待に応えられなかったな」とか、そんなことを思った。

 

次は猛烈な自己嫌悪に襲われた。「やりたくないからやらないとかガキかよ」だとか、「入社すぐの人に優しく出来ないなんて最低だわ」とか、そんなことを思った。

 

その後はずっと深い虚無感に襲われている。

 

開放感や安堵感は全くなくて、上司からの視線が気になって不安で、もしかしたら別の道もあったんじゃないかって考えたりする。

 

世間的にやらない方がいいとされていることは、やっぱやらない方がいいらしい。まあ、やらなかったらマジで鬱病になっていた気がするんだけど。