2022年5月7日(土): ラプラス・ダークネス様!!!!!
最近、Vtuberの動画をよく見ている。何というか、見ないと世のトレンドから置いていかれそうで怖いから。
正直、別に面白くはないのだが、何となく楽しみ方が分かってきたので、備忘録的な意味で書き残す。
まず、前提として、Vtuberは2.9次元とでも呼ぶべき、極めてリアルな存在だ。中の人がいることが前提で、だから、キャラクター設定みたいなものは遵守されない。二次元なのはあくまで外側だけだ。
Vtuberは上記の『二次元のはずなのにリアルに寄っている』点が批判されることが多い気がする。要するに「女ニコ生主見てるのと変わらねーじゃん」って話だ。
俺も同意見だったのだが、実際に視聴し、意見が変わった。外側が二次元であり、キャラクター設定があるというのは、見た目以上に大きな意味がある。
端的に言えば、Vtuberは、“中の人萌え”コンテンツだ。そして外側のキャラクター設定というルールがあるからこそ、中の人がそれを逸脱した際、その行いに真実味が生まれ、中の人らしさを醸し出せる。
言い換えるならば、Vtuberは『①外側②キャラクターとしての中の人』の二重構造になっている。ガワがあるからこそ、キャラクターとしての中の人が成立するのだ。
サブカルオタクが女ニコ生主に萌えるのは難しい。少なくとも俺は女ニコ生主の言動のうち、どれがペルソナで、どれが素なのか、判別がつかない。なので、女ニコ生主の言動全てがペルソナである可能性を捨てきれない。そしてペルソナには萌えられない。
その点、Vtuberは分かりやすい。
地声で喋っちゃった言葉や、一人称が我輩のはずなのにあたしと言ってしまった場合、それは素のはずだ。だから、中の人の個性と認識され、意外な一面はギャップ萌えとなる。ここで“中の人萌え”が生まれる。
すなわち2.9次元という1枚の仮面を被った状態だからこそ、逆説的に仮面の下の素顔に真実味が生まれるのだ。
この“手軽に素を知れる”という圧倒的なフレンドリーさこそ、Vtuberの最大の武器なのだと思う。
よって、Vtuberは女ニコ生主とは全然違う、全く新たなコンテンツなのだ。
※追記
俺がハマらない原因は、Vtuberの素も全部嘘なんじゃないかと猜疑心に苛まれてしまうからだ。自分でも人間不信ここに極まれりと思う。
※追記の追記
誤解を招く表現だったので訂正するが、Vtuberの素が知りやすいって話は、V視聴者は騙されやすいみたいな話じゃない。
そもそも人間が本当を言ってるのか、嘘を言っているのかなんて分からなくて、だからこそマジっぽさを求めるわけで、Vtuberの場合、マジっぽさを提示しやすいから有利なのだ。
マジっぽさを提示された際、本当か分からないから信じないなんて態度は、性悪説信奉者の穿った見方でしかない。人間を疑い続ける以上、幸福にはなり得ない。
マジっぽさを提示されたから信じる選択をしたのが、V視聴者なのだ。信用は、信頼関係を生み、信頼関係は距離感の近さを生む。
だからこそ、Vtuber視聴者はVを友達のように思えるほど楽しめるし、Vtuberもその期待に応える。
この正の共犯関係こそが、Vtuberの熱狂的人気の一因なのだと思う。