2021年7月28日(水): 解釈違いは、受容のみすべし。

『世界は最高だ!』だという主張も、『世界は最悪だ!』だという主張も、毎年ウンザリするほど耳にする。

多分、これはどちらも正しい。世界は最高だと思う人と同じくらい、世界は最悪だと思う人もいるって話なんだろう。

例えば宝くじで3億当たった人からすれば世界は最高だろうし、彼氏が3股してた人からすれば世界は最悪だ。

つまり、世界は最高であり、同時に最悪である。

世界という大仰な概念を持ち出したが、世界に限らず、ある人にとって最高だった物が、ある人にとっては最悪というのは往々にして起こり得る。

見方が異なれば、出会い方が異なれば、当然、評価は変わる。その人が最高だと思えば、その人にとっては最高なのであり、逆もまた然りだ。

ダラダラと書いてしまったが、つまりは、どんな物に何を感じようが、それは結局どこまで行こうが単なる解釈であり、(万人が共有可能な)本質とはなり得ないのだ。

だから、自分の解釈が(絶対的に)正しいと思うべきではないし、他者の解釈(絶対的に)間違っていると思うべきではない。

人が己の視座しか持たない以上、己の視座から見た解釈しか持ち得ないのだから、別の解釈を否定すべきではない。しかして、己の解釈も誤りではないのだから、別の解釈を肯定する必要もない。

解釈違いは、受容のみすべし。

 

俺はライスシャワーが攻めだと思う。