2021年5月8日(土)

私「Twitterするか」

私「“Twitter婚活が話題ですが結婚相談所勤務の人が婚活男に物申すまとめめちゃくちゃ面白いから見て”?、ほえー」

f:id:name-1549:20210508204559j:image
f:id:name-1549:20210508204549j:image
f:id:name-1549:20210508204555j:image
f:id:name-1549:20210508204553j:image

f:id:name-1549:20210508205056j:image

 

憲法改正して、安全圏から馬鹿に正論投げつけて気持ち良くなる人間を死刑に出来る世界にしませんか?

 

※追記

上記の“婚活男に物申す”に相当なストレスを感じたので、おそらく俺にとって最も相容れない部類の思考体系なのだと思われる。そこで、自己分析のために、現在の自分の思考を列挙しておく。

 

 

“婚活男に物申す”と同系統の嫌悪感を覚えるコンテンツに、『痛快TV スカッとジャパン』がある、

 

このコンテンツが嫌いな理由も、「安全圏から他者を過度に矮小化し、断罪する、下劣な精神性」が許容出来ないからだ。

 

もっと噛み砕いて言えば、行動すらしない人間が、心の中で他者を間違っていると嘲笑う態度が、キモすぎるから嫌いだ。

 

この「安全圏からの批評」に対する嫌悪感は、おそらく、侏儒の言葉の醜聞という項に影響を受けている。

醜聞

 公衆は醜聞を愛するものである。白蓮事件、有島事件、武者小路事件――公衆は如何にこれらの事件に無上の満足を見出したであろう。ではなぜ公衆は醜聞を――殊に世間に名を知られた他人の醜聞を愛するのであろう? グルモンはこれに答えている。――
「隠れたる自己の醜聞も当り前のように見せてくれるから。」
 グルモンの答は中あたっている。が、必ずしもそればかりではない。醜聞さえ起し得ない俗人たちはあらゆる名士の醜聞の中に彼等の怯懦を弁解する好個の武器を見出すのである。同時に又実際には存しない彼等の優越を樹立する、好個の台石を見出すのである。「わたしは白蓮女史ほど美人ではない。しかし白蓮女史よりも貞淑である。」「わたしは有島氏ほど才子ではない。しかし有島氏よりも世間を知っている。」「わたしは武者小路氏ほど……」――公衆は如何にこう云った後、豚のように幸福に熟睡したであろう。

 

読んで以来、“醜聞さえ起し得ない俗人たち”というフレーズが俺の脳裏にずっとこびりついていて、行動もせず、挑戦もせず、変化せず、にも関わらず、他者を否定する態度が悪としか思えなくなった。

 

そりゃオシャレに気を遣わずに婚活する奴は馬鹿だろう。キスしていいタイミングは固定ではないし、女受けを狙うならガンダム好きをアピールしない方がいい。

 

それでも、それは、結婚したいという願望を実現するため行動に移した結果の失敗であって、何もしないカスに嘲笑う権利などないのだ。

 

たぶん、この感情は自己嫌悪に近くて、俺自身にもそういった側面があるからこそ、尚更否定したくなるのだと思う。

 

(色々書こうとしていたことがあるけど全部吹き飛んだから、明日の日記に書きます)