2022年8月30日(火):象牙の塔より矢を射ることなかれ

ビビることに、撮り鉄フェミニスト叩きをマジでやっている人間って結構いるらしい。(普通にネタでやってるんだと思っていた。)

以下、お気持ち表明。

 

まず、撮り鉄フェミニストを嫌うのは、それが法に触れない限り、個人の自由だ。何を好きになり、何を嫌いになるのもいい。俺も撮り鉄フェミニストを愛しなさいと言いたいわけじゃない。


ただ、表立って叩く場合、少なくともポリシー程度は必要じゃないか?すなわち、“何故、敵対するのか“ぐらいは、自分の中で定まっているべきなんじゃないだろうか。


単純に、撮り鉄のせいで電車が遅延したとか、親戚のフェミニストがうるさくてイライラした程度でもいい。要するに、戦うべき理由があればいい。


で、撮り鉄フェミニストを叩いている奴って、現実世界で撮り鉄フェミニストに出会ったことがあるんだろうか。


撮り鉄フェミニストに、迷惑かけられたり、不快な気分にさせられたりしたんだろうか?


多分、叩いている奴の7割ぐらいは、実害を受けていないんじゃないかな。


ただ、ネットでヤバい撮り鉄や、ヤバいフェミニストを見て、「ふーん、撮り鉄フェミニストってカスだなw」で敵対してる奴が大半だと思う。


シンプルな話、それっておかしくないか?


「オタクが人を殺した!オタクはキチガイ集団!」をナンセンスとしながら、「ヤバい撮り鉄がいるから撮り鉄はヤバい!」、「ヤバいフェミニストがいるからフェミニストはヤバい!」が成り立つ理由が分からない。


全然よく分からないものを、全然よく分からないままでいるのはいいし、全然よく分からないけど何となく嫌うのもいい。


だけど、全然よく分からないものを、全然よく分からないまま、適当な知識で糾弾するのは、明確に間違っている。


象牙の塔に籠るのはいい。

されど象牙の塔から矢を射ることなかれ。