2023年1月23日(月):仕事に対する意識変化の言語化

最近、明らかに仕事に対してマジになり過ぎている。言い換えると、仕事とプライベートの切り分けが下手になってきている。それに伴い、弊害が出ている。

整理のために、現在の精神を言語化する。

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そもそもとして、思考の根底付近が業務知識に汚染されてきた。

例えば「神クラスは悪しきものである。」という思考が無意識に働いて、棚の一段目は生活雑貨、二段目は食糧品と用途によって使い分けようとしていた。(俺は元来、かなり適当な人間で、本棚に本を横に倒してしまうレベルなので、これはアイデンティティの崩壊に近い。)

考えてみれば当たり前で、1週間で40時間の作業を何年もしていれば、その時間に思考したことは経験則として蓄積されない方が不自然と言える。

そして、この時間経過が、俺の精神性の変容の原因でもあるのだと考える。

シンプルな話、1000時間関わったものを本気で厭えるほど、人間の精神は堅牢ではない。

俺は仕事に対し、憎しみだけを向けるには長い時間を過ごしすぎてしまった。いわば、仕事が趣味化してきた。結果、飽きることも、萎えることもあるが、愛着はある程度には、思い入れが出来た。

趣味なら他人より上手くなりたいのは当然であり、他人より情熱を傾けられるのも当然だろう。だから、マジになる。

しかし、これは本来、悪しきことなのだ。

ワーク・ライフ・バランスが叫ばれて久しいことからも分かるように、仕事と人生は切り分けるべきである。更に重要なのは、仮に自分は切り分けないとしても、他人が切り分けているのは受容すべき点である。

マジでない人間に、マジを強要してはいけない。