2022年6月23日(木): ちなみにダークパワーっぽいのはナイトが持つと光と闇が両方そなわり最強に見える。 暗黒が持つと逆に頭がおかしくなって死ぬ。

外面の美しさは偽りであり、真に価値あるのは内面の美しさであるという言説を、誰しも1度ぐらいは耳にしたことがあるだろう。

しかし、本当にそうなのだろうか?

思うに、この言説は、とある幻想によって成り立っている。即ち、外面は生まれながらに美醜が決まっているが、内面は自ら定義可能であるという幻想である。

実際には、内面はコントローラブルなものではない。我々が行っているのは、忍耐である。モラルに反する欲望が生じた際、“こうするべき”という経験則に基づき、その欲望を破棄している。美しくないから、美しく取り繕うという意味で、忍耐は本質的に化粧や整形と変わらない。

畢竟、“善い人”とは、モラルに反する欲望を抱き辛い人であり、“悪しき人”とは、モラルに反する欲望を抱きやすい人である。

モラルに反する欲望の抱きやすさは、明らかに自らが定義出来るものではない。これは生まれながらの性質であり、そういった意味で外面の美醜と何ら変わらない。

モラルに反する欲望への忍耐こそ、内面の美しさであると言う人もいるだろう。しかし、人の忍耐力もまた、自らが定義可能なものではない。我慢強いだとか、わがままだとかも、これは生まれながらの性質だろう。

結局のところ、突き詰めれば、内面の美しさも才能でしかないのだ。欲望に弱い人間がいたとして、その心の在り方を責めるのは、何故、そんなに醜く生まれたのかと糾弾することと変わらない。