2021年6月9日(水)

世の中、ダブルスタンダードで溢れ返っている。

・動物虐待が許せなくても、屠殺される牛や豚を可哀想とは思わない。

・アニメを馬鹿にされてキレるオタクも、白ハゲ漫画は馬鹿にする。

・命の大切さが叫ばれても、飢餓難民に募金している人間の方が珍しい。

よく考えれば、これ等はかなり意味不明なのだが、俺の中でも「動物虐待が許せない」と「牛肉が好き」は矛盾なく同居している。

何で矛盾しないのか考えていたのだが、答えが出なかった。(実際に屠殺される部分は隠匿されているから同属性と認知出来ない?)

ここらへんに言及してる話を知っている人がいたら教えてください。

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※追記

「動物虐待が許せない」と「牛肉が好き」は矛盾なく同居する理由に、一定の納得が得られた。

結論から言えば、俺は“犬や猫は愛玩動物であり、牛は食肉である”という世界観の元に育っており、だからこそ犬や猫を殺すことは許せなくても、牛肉を食べることが出来る。

これは他のケースにも当てはめられ、例えば捕鯨に対する感覚も、この論理で説明出来る。

①日本以外の国で鯨を食べるのは可哀想だとされるのに対し、俺にはそういった感覚があまりない。

②これは鯨は食肉であるという世界観で育ったか否かの差である。

③仮に俺が鯨は食肉でないという世界観で育っていたら、鯨を食べることに忌避感を抱いていたはずだ。

よって、まずあり得ない仮定だが、俺が犬や猫は虐待するものという世界観で育っていた場合、おそらく犬や猫を虐待することに忌避感を抱いていなかったはずで、要するに「そう定義されているから、そう認識している」だけだと思われる。